内容(「MARC」データベースより)
1973年
6月~2000年2月にいたるパリ居住時代の作品を収録。作品のほか写真や日記なども掲載。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
白山 雅成
1916(大正5年)3月22日、生まれる。1934(昭和9年)高校へ入学した頃「成城事件」。敬愛する小原国芳校長排斥で学友たちと篭城して反対する。小原校長は玉川学園を創立して成城学園を去る。白山の在籍していた全兄弟、友人の上野太郎兄弟、小山内宏(薫の次男)兄弟3人等と共に成城を去る。1934~37(昭和9~12年)画家になることを決意して上野太郎と網代海岸に一軒家を借りて制作を開始する。1945(昭和20年)シチズン時計へ勤務。時計の文字のデザインをする。1946(昭和21年)10月日大二高の絵の教師となる。1970(昭和45年)フランスへ留学。ヨーロッパの高校視察としてパリのアンリ四世私立高を視察後、パリを拠点に諸ヨーロッパを廻り制作活動。1973(昭和48年)5月日大二高を退職。6月フランス永住を決意して日本を離れる。2000(平成12年)2月26日パリ、ポンヌフ橋上で制作を終えてから、車と接触。ホテル・デュ病院からサルペトリス病院へ移され、28日午前3時15分永眠。享年83才(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1916(大正5年)3月22日、生まれる。1934(昭和9年)高校へ入学した頃「成城事件」。敬愛する小原国芳校長排斥で学友たちと篭城して反対する。小原校長は玉川学園を創立して成城学園を去る。白山の在籍していた全兄弟、友人の上野太郎兄弟、小山内宏(薫の次男)兄弟3人等と共に成城を去る。1934~37(昭和9~12年)画家になることを決意して上野太郎と網代海岸に一軒家を借りて制作を開始する。1945(昭和20年)シチズン時計へ勤務。時計の文字のデザインをする。1946(昭和21年)10月日大二高の絵の教師となる。1970(昭和45年)フランスへ留学。ヨーロッパの高校視察としてパリのアンリ四世私立高を視察後、パリを拠点に諸ヨーロッパを廻り制作活動。1973(昭和48年)5月日大二高を退職。6月フランス永住を決意して日本を離れる。2000(平成12年)2月26日パリ、ポンヌフ橋上で制作を終えてから、車と接触。ホテル・デュ病院からサルペトリス病院へ移され、28日午前3時15分永眠。享年83才(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



