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ボタン落し―画家鶴岡政男の生涯: 鶴岡 美直子: 本

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ボタン落し―画家鶴岡政男の生涯

ボタン落し―画家鶴岡政男の生涯

内容(「MARC」データベースより)

若いときには革命家の仲間入りをして、ある時は社会派の画家であり、又月光族の仲間入りをして楽器を演奏したり…。フーテンのツルさんであり革命家の鶴岡であり谷中のガマさんでもあった、大きな父の姿を描く評伝。

著者 鶴岡 美直子, 2003/06/16

ボタン落しの紹介文
みなさんこんにちは、わたしは画家鶴岡政男のうんこの美直子です。「おとうさん、こどもってなーに?」「おれのした!!”うんこ”!!だよ」すこしふまんをのこして、わからないままのかいわはそれっきりでした。ちちがしんで、スケッチブックのなかから「”のぐそ”にしたからつきあげられた」とらくがきがでてきました。おおきなやきもののうつわのなかからしんぶんしにつつまれて、かれた”うんこ”がでてきました。アトリエをかたづけていたものは、どんなこうかなものがでてくるのだろうかと、かみづつみをひろげたものでした。そうこうしているうちに、わたしという”うんこ”がにおわなくなって、かれてゆきます。けっしょうになるならまだしも、”うんこ”はくさいから”うんこ”のいのちをまっとうしているのに、ひからびてしまうまえに、”うんこ”のいじをみせなければと、「ボタン落し 画家鶴岡政男の生涯」を美術出版からださせていただきました。
 せんぜん、せんごのアバンギャルドのじんせい、かいが、ちょうこく、そして、つりやボンゴのえんそう、などなど・・・。

 よるのしんじゅくをかけめぐり、月光族とあそび大島渚かんとくのえいがせいさくにも絵でさんかしました。

 しゃかいはの鶴岡政男、かくめいかの、そしてフーテンのつるさんが、うまれてしぬまで”こうんこ”がおいかけてゆきます。これは、まったくまじめなきもちで、わたしの文体で日本にひとつしかない、おもいでかきました。(本文は漢字も使用しています。)

 タイトルの「ボタン落し」はせんそうで、いえをやけだされたあとに、すんだいえのいりぐちが、ひらきもしなければとじもしない、ひとがひとりよこになってとおるのがやっとのいえに、あさになるとボタンがおちていました。そんないえに松本峻介、林武、勅使河原宏、麻生三郎、朝倉摂、幸田文・・・各々のひとびとがたずねてきました。たのしかったこと、おどりくるったことなどなど・・・。いつもふりかえれば、わたしをささえてくれた、ゆかいであたたかだった、ちち、そしてそのこいびとや、ははや、おばあさんや、すこしまえのじだいのできごとをかきました。
 わかくしてなくなった靉(あい)光、長谷川利行、松本峻介、というえかきたちがせおいながらなくなっていった、いきかたや、じだいもつたえることができたらとおもいました。  2003・6・8

鶴岡美直子(つるおかみねこ)

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

鶴岡 美直子
1944(昭和19)年4月、東京に生まれる。1968年武蔵野美術大学造形学部彫刻科卒業。1971―73年ポエトリー・アット・ニュージャズ(キッド・アイラック・コレクシオン・ギャルリーおよびプルチネラ)に白石かずこ、諏訪優、村田正夫、他と参加。1973年81年まで、「潮流詩派」の会(サンプラザ)、詩の朗読に参加。1990年詩集『マライカ』出版(潮流出版社)。「ポエム・リサイタル」(詩と思想社主催、四谷公会堂)に、相沢史郎、今辻和典、木村迪夫、小海永二、琴天音、斉藤克、村田正夫、他と参加。以後、グループ展等に参加、今日に至る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

目次

炎柱
NOVAと戦争
ボタン落し
ガマと友だちと七厘焼き
重い手
まんじゅうとバラとパンパン
ビキニ諸島の雨
落下する人体
LSD
青いカーテン
かえり道
蜘蛛屋敷
癌との戦い
死の波
画家として―参考資料