内容(「BOOK」データベースより)
群像画の描法として“七福神”“十三仏”“二十五菩薩”を参考例に、それぞれの骨描き・彩色画を総集したほか、“仏画”の頂点とも称すべき“襖絵”“天井絵”の技法
を紹介、さらに東大寺の歴史的大事業たる“昭和大納経”の経典
絵をも収載した。
内容(「MARC」データベースより)
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
松久 宗琳
大正15年(1926年)、仏師・松久朋琳の長男として、京都市に生まれる。本名・武雄。幼少より日本画を学び、仏絵師の門に入るも、病いのため父の膝下に帰って、仏師としての道を歩む。大阪・四天王寺中門の仁王像、滋賀・延暦寺大講堂の三尊仏、京都・鞍馬寺の三尊仏、京都・大覚寺の五大明王像、金閣寺の岩屋観音と四天王、大阪・四天王寺講堂の丈六仏、聖徳太子像、生駒聖天の文殊菩薩像、高野山東塔大日如来他二体、千葉成田山新勝寺五大明王などの彫造に従事。また、37年には京都・九条山に“京都仏像彫刻研究所”を開設して、後進者の育成指導に当り、39年以降、毎秋“宗教美術展”を開催するなど、現代の仏像彫刻界に確固たる地歩を築く。48年には“宗教芸術院”を設立し、『仏像彫刻のすすめ』『截金の技法
』などの著作を教本として、広く一般の愛好者に伝統技法
を公開し、“一人一仏”の宗教芸術運動を推進した。昭和60年に松久仏像彫刻会館を開設、作品を展示して一般に公開している。平成4年3月死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
大正15年(1926年)、仏師・松久朋琳の長男として、京都市に生まれる。本名・武雄。幼少より日本画を学び、仏絵師の門に入るも、病いのため父の膝下に帰って、仏師としての道を歩む。大阪・四天王寺中門の仁王像、滋賀・延暦寺大講堂の三尊仏、京都・鞍馬寺の三尊仏、京都・大覚寺の五大明王像、金閣寺の岩屋観音と四天王、大阪・四天王寺講堂の丈六仏、聖徳太子像、生駒聖天の文殊菩薩像、高野山東塔大日如来他二体、千葉成田山新勝寺五大明王などの彫造に従事。また、37年には京都・九条山に“京都仏像彫刻研究所”を開設して、後進者の育成指導に当り、39年以降、毎秋“宗教美術展”を開催するなど、現代の仏像彫刻界に確固たる地歩を築く。48年には“宗教芸術院”を設立し、『仏像彫刻のすすめ』『截金の技法



