出版社/著者からの内容紹介
24歳で夭折、叙情詩人が遺した美しい詩画。
青春期の瑞々しい夢や憧れをソネット形式で謳い上げ、中原中也賞受賞直後に早逝した立原道造。その代表作に秘かに遺されていたパステル画を添えた珠玉の詩画集。
青春期の瑞々しい夢や憧れをソネット形式で謳い上げ、中原中也賞受賞直後に早逝した立原道造。その代表作に秘かに遺されていたパステル画を添えた珠玉の詩画集。
内容(「BOOK」データベースより)
22編の詩と34点のパステル画が語る澄明な世界。
内容(「MARC」データベースより)
夢みたものはひとつの幸福 ねがつたものはひとつの愛 山なみのあちらにもしづかな村がある 明るい日曜日の青い空がある 22編の詩と34点のパステル画が語る、透明な世界。若き詩人が遺したメッセージ。
著者紹介
立原道造
1914(大正3)年7月30日、現在の東京都中央区東日本橋の荷造用木箱製造業を営む商家に生まれる。
府立第三中学校(現・都立両国高校)の頃には、パステル画、ハーモニカ演奏をよくし、短歌や詩作、天文学にも傾倒する。旧制第一高等学校
から東京帝国大学工学部へと進み、建築学を学ぶ。在学中に三年連続して「辰野金吾賞」を受賞。また、堀辰雄、丸山薫、三好達治らが創刊した月刊詩誌『四季』に加わり、詩文を発表し始める。
1937
年、帝大卒業後建築事務所に就職。その傍ら、詩集『萱草に寄す』『暁と夕の詩』を刊行。この頃から胸を患い、翌年には休職し信濃追分けで療養する。秋、北方(盛岡)、南方への旅に出、長崎で喀血。
1939年2月、第一回中原中也賞決定の報を受ける。
3月29日、病状急変し永眠。
1914(大正3)年7月30日、現在の東京都中央区東日本橋の荷造用木箱製造業を営む商家に生まれる。
府立第三中学校(現・都立両国高校)の頃には、パステル画、ハーモニカ演奏をよくし、短歌や詩作、天文学にも傾倒する。旧制第一高等学校
1937
1939年2月、第一回中原中也賞決定の報を受ける。
3月29日、病状急変し永眠。



