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藤田嗣治画文集 「猫の本」 (講談社ARTピース): 藤田 嗣治: 本

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藤田嗣治画文集 「猫の本」 (講談社ARTピース)

藤田嗣治画文集 「猫の本」 (講談社ARTピース)

出版社/著者からの内容紹介

藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色』に続く第2弾!
画集未収録作品を中心に約90点の猫の絵とエッセイ

盛り場から夜遅くパリの石だたみを歩いての帰りみち、フト足にからみつく猫があって、不憫に思って家に連れて来て飼ったのが1匹から2匹、2匹から3匹となり、(中略)ひどく温柔(おとなしや)かな一面、あべこべに猛々しいところがあり、二通りの性格に描けるので面白いと思いました。――本書より

内容(「BOOK」データベースより)

エコール・ド・パリの巨匠が描いた猫たちが初めて一冊に。フジタの猫たち130匹余!画集未収録作品を中心に約90点の猫の絵とエッセイ。

内容(「MARC」データベースより)

エコール・ド・パリの巨匠が描いた猫たちをまとめた画文集。画集未収録作品を中心に、約90点の猫の絵とエッセイを収録。「藤田嗣治画集」に続く第2弾。

出版社からのコメント

 「藤田嗣治画集」刊行後の反響のなかで、思わず膝を打ったお話がありました。「あの画集の中には166匹の猫が登場していますね」。これは、銀座にある猫専門の画廊にご挨拶に伺った折のこと。
 そーなんです! フジタは、「裸婦と猫の画家」と言われるくらい、猫の登場する絵を多く描いています。とくに、猫のさまざまな表情を描いた小品は、版画やリトグラフになって大変人気が高く、今でも高額で流通しているものも多くあり、それらは、画集には収録しきれませんでした。読者ハガキにも、続編や版画集の希望が多く、私自身も長期にわたる編集作業のなかで、第2弾は「フジタの猫の本」と(密かに)決めていました。
 画集の仕上がりが見えてきた頃、著作権者であるご夫人から「猫の絵を集めた可愛い本ができるといいわねえ」というお話があり、「もちろん是非!」と企画を進めて半年余、やっとなんとか思い通りの本ができあがりました! 今回も最初で最後の画期的な出版です!!(スミマセン、自画自賛で・・)
 B5変形96ページの中に、画集未収録作品を中心に約90点の絵と画伯のエッセイ集
より抜き出した猫と画論についての文章、そして、猫と一緒の写真や洒脱なカットをちりばめて、初期から晩年までが一望できる構成です。
 自慢は、粘りに粘って掲載することができた、「猫十態」シリーズ全点(1929年)、戦前N.Y.で刊行された「猫の本」所収の全20点、アルゼンチン国立美術館にある幻の名作、そしてご夫人秘蔵の戦後の素描作品など。巻末には、高階秀爾先生の玉稿「永遠の友を描ききる技」も読み応えがあります。
 本書の中に、(私算では)139匹の猫が見られます。可愛い猫の写真集はあまたあれど、
本物よりも猫らしい(?)愛らしく、気高く、放埓な瞬間をとらえたフジタの猫たち。我が家の猫たちのふとしたポーズが、フジタの猫そっくりで驚かされます。(犬も出てますヨ)
 カバーは、可愛い親子ねこの作品にローズピンクのメタリック箔押しのタイトル。奥付けページにも絵をいれて、楽しんで作りました。どうかもうひとつよろしくお願いいたします。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

藤田 嗣治
1886年11月27日、東京府牛込区に生まれる。1900年、東京高等師範学校付属中学校に入学。1905年、同校卒業、東京美術学校西洋画科に入学。1910年東京美術学校卒業。1917年、フェルナンド・バレーと結婚。モディリアニの画商でもあったシェロン画廊で最初の個展。1941年、帝国芸術院会員になる。1943年、朝日文化賞受賞。1946年、練馬区小竹町(江古田)の新居に戻る。1955年、フランス国籍を獲得、日本芸術院会員を辞退する。1957年、フランス政府よりオフィシェ・ド・ラ・レジョン・ドヌール勲章受章。1958年、ベルギー王立アカデミー会員となる。1959年、フランス社会進歩協会から銀メダルを受ける。トリエステ宗教美術展で金賞を受賞。1968年1月29日、チューリッヒ州立病院で死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)